僕も観光船に乗った。ちょうど兵士が上手に立っていた。写真を撮る僕らに文句をいっているようだったが、その声は川に沿って吹く風に遮られてまったく聞こえなかった。『東方明珠号』が着いたのは、その鴨緑江の河口のようだった。川とも海ともいえない地点に、陸から突き出るように桟橋がつくられていた。あたりに家はなにもなく、鴨緑江が運んだ砂地が寒風に晒されていた。丹東の街まではだいぶ距離がありそうだった。中国の土を踏んだ僕らに不安がないわけではなかった。
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中国人の反日感情だった。その年、中国の反日運動は高まりをみせた。半年ほど前、上海で日本の総領事館に向けての反日デモがあった。総領事館の窓は投石で割れ、途中にある日本料理屋が壊される事件があったばかりだった。その直後に大連を訪ねた知人は、日本人というだけで、タクシーの乗車拒否に遭ったと僕に教えてくれた。おそらくそれは、個人レベルの感情だったのだろうが、丹東の中国人のなかに、反日の意識を露にする人がいないとも限らなかった。丹東は日本人とのつながりが深い街だ。戦前は安東と呼ばれ、満州への入口として多くの日本人が住んでいた。だがそんな不安は、丹東港のターミナル出口で一気に吹き飛んでしまった。この港には両替する場所がなく、僕は売店で少額のアメリカドルを中国元に替えてターミナルを出た。そこで僕らを待ち受けていたのは、二日に一度、仁川からやってくる乗客から、少しでも多くのあがりを得ようと手ぐすねを引いて待つタクシー運転手たちだったのだ。